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「自由」が不安・怖いー「自由」ってどこまでOK?と自由が不自由

習い事とかイベントなどで多いのが

「自由」に楽しんでください。

と言われるパターン。

「自由」なのだから、「何でもいい」し「どうやってもいい」わけだから、一見ワクワクして楽しさしかない気がします。

でもですよ。意外にそう思える人は少ない気がします。

あなたは「自由に」と言われたら、

ラッキー♪
さーて。どんな風にしようかなー

って思えるタイプですか?それとも、

自由って・・・
どこまで許されるの?

って自由の範囲の確認をしないとなんとなく不安ですか?

日本人って「自由」って言われると逆に動けなくなる、不自由だわって感じる人(つまり後者のタイプですね)、そっちのタイプの方が多いんじゃないかなって思います。

かくいう私もそうでした。
(今は違いますよー♪)

しかも「自由ってどこまで許されるのですか?」って聞くこともできず、周りきょろきょろして妥協点を探すタイプですね。

で、よし! って進むものの、最終的なものが周りと違っていないか不安で不安で…

こうなるともはや末期ですよね(笑)

以前、これについて友人と話したことがあるのですが、彼女は自由奔放なタイプ。

「自由の範囲を考えてる時点で自由じゃないじゃん」
って言ってました。

なるほどーです。

確かに、です。

今日はどうして「自由」が「不自由」に感じられてしまうのかということについて、考察してみたいと思います。

※このブログの世界における記事は、あくまでも私自身が分析したもの、それなりにお勉強したものを総合して考えだしたことであり、学術的な事ではありません。

目次

刻まれていく”ここ”に存在するために守るべきルール

私たちはこの世に生まれ出て〇年。

それぞれが様々なことを学んで成長してきました。

第一に学ぶのが、この地球上、この国、この地域に存在するために必要なルールですよね。

法律を初めとして、人として必要な倫理的なもの、そして命を守るために必要な事など様々なものがあります。

それらは守らないと叱られたり、罰を受けたりして、「絶対的なもの」として刻まれていきます。

また、自分が育てられた環境における、かなりローカルなともすると偏ったルールもあります。

親の中にある、価値観ですよね。

「これはだめ」「これが正しい」「これはしてほしくない」

他の家では許されることが許されなかったり、根拠がないにも関わらず、親の主観的なものによって許されないことまであります。

反発心を持ちながらも、それをしっかりと植え付けられて私たちは成長していくわけです。

日本の教育システムによる一種の洗脳のようなもの

特に日本においては、今大人の人たちのほとんどは、大人数で一つの教室に詰めこまれて、同じ方向を向いて、同じことをすることが正しい、という教育を受けてきましたよね。

和を乱さないこと、期待されたことに応えること。

それが大切だと刷り込まれてきました。

そこには常に、規範というものが存在し、その中でよりよい評価を受けるためにがんばってきたわけです。

そして、範囲と期間を設けられ、そこに向かって全力を注ぎ、競争させられる。

そのトータルな評価はときに、学校において称賛されたり、家庭においても愛を受けとれる条件だったりします。

その頃にそれに反発していたとしても、それを守れなかった自分はダメな子という傷を、今もなお心の奥深くに抱えていたりするので、どちらにしても、今のあなたにその影響は大きく残っているかと思います。

個々の体験による学びやトラウマ

みなさんそれぞれが、いまここに至るまでたくさんの出会いを繰り返し、いろいろな体験をしてきたと思います。

様々な体験に対し、自分なりに学習してきたことがありますよね。

悲しいことやうれしかったこと。

失敗したことやうまく行ったこと。

その経験たちは、みなさんがもともと持っている性質によって、たとえ全く同じ経験をしたとしても、捉え方・受け取り方・記憶の処理の仕方によって変わってきます。

トラウマになったり、学びになったり、忘れたいものになったり。

それらの体験してきたもの、それに対して感じたことは、あなたの現在の様々な行動や思考の基準になっていることでしょう。

意識に刻まれたこうあるべきが私たちを支配している?

上記三つのようなものがあなたの意識に深く刻まれていることが、「自由」が不安になる原因の一つなんじゃないかなって思うのです。

自由の範囲がわからない→ ルールの中で生きてきたから、ルールがあるはずだ

間違えたらどうしよう→ 規範の中で生きてきた。正解があるはずだ。

みんなと違っていたらどうしよう→ 目立ちたくない。過去の経験によるトラウマ

こうしてみると…

私たちはなんて不自由なのでしょう。

ってことに気づきますよね。

自由は自由なのだ。自分が心地良ければそれが正解って思える自分になる

私たちは、ルールの中、規則の中、人の目の中、精いっぱいがんばってきました。

いや、今もがんばっています。

そろそろ自由を楽しんでみませんか?

自分の「気持ちいい」「こうしたい」をただそのまま表現すればよいのです。

でも、いきなり自由! 素敵! 楽しんじゃおう! ってはなりませんよね。

これまで縛りの中でみつけた、枠の中でのほんの小さな自由を楽しみだと思って生きてきたのですから。

ここで提案です。

まずは、小さなことから始めてみませんか?

お茶をしに入ったお店で、前から気になっていたフルーツパフェがあったとします。

500円ぐらいのコーヒーを飲もうと思っていたのに、パフェは1200円。

——–

そんな贅沢していいはずない。。。いや、しちゃいましょう。

500円のコーヒーで得られる気持ちと1200円のパフェで得られる満足。

もし満足感が700円より大きかったら、「得した♥」だし、小さかったら「損しちゃった(笑)」で終わりです。

——–

周りのみんながコーヒーだから、一人で別なもの頼んだら浮いちゃう。。。いやいや。頼んじゃいましょう。

実は私も気になってたんだよね~っていう人が出てくるかもしれませんよ~

そしたらきっと、その人とはより価値観が合うのかもしれません。

それをきっかけにより心地よいお友達との関係ができるかもしれません。

——–

そんな小さな自由を選択することから始めて、自由の心地よさを感じていくと、より自由を楽しめるようになるのではないかなーと思うのです。

船橋・市川・日本橋フラワーアレンジメント教室の作品

にこはなのお花のレッスンは、自由への最初の一歩におすすめ

どうして自由が不自由の話をしようと思ったのかといいますと…

にこはなのレッスンもずーーっと前は、「自由に楽しんで」だったのです。

でも、自由に、なのに楽しめない人が多いって気づいたのです。

それはここまでお話してきたような理由だったのだと思います。

そこで、にこはなはまずお花の世界の基本のきをお教えするとともに、自分の中に合った制限に気づき、解放していくレッスンを作りました。

形をしっかり教えるレッスンでは、自由な心を奪ってしまうし、かといって「自由にどうぞ。はいドーン!」という丸投げでは不安です。

まずは自由を楽しめる心の緩さを作っていき、自分の中の好きに気づいてもらいます。

その上で、自分の好きを表現するために必要な技術を伝授しますので、それを使って、実際に表現していく旅に出ていただくという流れです。

なので、少しずつ、でも確実に、これまで自分を守ってくれた、心の縛りから解放され、本来の自分に戻っていただく、そんなレッスンです。

「お花に前から興味があったの」

「お花が好きなの」

という方は、にこはなのレッスンを利用して、自由を楽しめる自分になるのもおすすめですよ。

まずは体験レッスンで、自分の中のある思い込みの一部を発見してみませんか?

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