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誰かの○○じゃなく”自分”として人とつながれる場所としての花教室

にこはなでは、基本はグループレッスンではないのですが、基本のコースが終わった後は、2~3人でのレッスンになることもあります。

とはいえ、にこはなには友達同士でレッスンに来ている方はいらっしゃらないので、みなさん単独で参加していらっしゃいます。

だからでしょうか。

一期一会の出会い…という言い方が正しいのか謎ですが、顔は知っているけど名前は知らない、だけど会えば気軽にお話するなんてことも起こります。

とて仲良しだったりもするのです。

目次

役割としての呼ばれ方になる女性

女性って結婚すると自分の名前を言う機会がなくなりますよね。

結婚すると、○○さんの奥さん。

会社やパート先でも○○さん(夫の苗字)

子供が幼稚園に入ってからは、△ちゃんのママ。

気づけば、役割としての自分、しかも呼ばれ方は結婚してからの姓、または子どもの名前+訳割になってしまってます。

どれもこれも決して「自分」ではないですよね。

自分がどういう人間か?よりも、相手との関係性のみにフォーカスされた人間関係は、初めは違和感を感じるものの、次第に慣れてきて、考えるタイミングすらなくなっていきますよね。

“共通点を探したい”という欲求を持つ人たち

数人が集まる場所に行った時、会話の初めには、「結婚しているのか?」「子供はいるのか?」「どこに住んでいるのか?」って聞かれることも多いですよね。

その方は自分との共通点を探したいんだと思うのです。

話題を探すためだったり、今後の付き合いの深さを探ったり。

相手との共通点がなかった時、また同じ質問を他の人にしているのを見て、そっちの方と共通点が見つかったときには、自分はほっとかれたりして…

そんな時に、私は、共通点って環境とかそういう事しかないものなのかなーってさみしくなるのですが、みなさんはいかがですか?

そういう事よりも、自分自身の中身、好きな事とか価値観とか、そういうもので人とつながりたい、そんな風に思ったことはありませんか。

どこに住んでいるかどんな生活環境かもわからないけどつながれる

その点、にこはなでで会う人たちは、「花が好き」という共通点があるからでしょうか。

ただ目の前にいる「人」、そのままを丸ごと受け入れている感じです。

「どこにお住まいなんですか?」なんて聞く人はいらっしゃらなくて、「難しいですよねぇ」と最初から同じ感覚を共有している感じで関わり合っている気がします。

花は好きだけどむずかしい。そんなお花たちと戦っている同士。

そんな感覚なんでしょうね。

あっという間に仲間になっている気がして、それを見ているとニコニコしてしまうのでした。

好きなものが同じで、同じ先生と関わっていて、同じような悩みを持っている。

そして同じような難しさを感じていて、うぬぬぬ…となっているという、一体感なのでしょうか。

役割でもなく打算でもなく人とつながれる場所の大切さ

ただ好きなことをしていて、そのままの自分で目の前のものと格闘していて。

そんな素の自分のままで、人とつながれるって、めったにない体験だと思いませんか。

何となくこの人の雰囲気が好き。

リアクションがツボ

生み出す作品の世界観が好き

何の打算もなく、相手を見て、その人のもつ魅力にひかれてつながっていく。

にこはなという空間だけで成り立つ関係だけど、それがまた適度な距離感があって、長く心地よく続いていくのかもしれません。

無理せずに自分のままで人とつながりたい、そしてお花が好きで上手になりたいって感じているなら、迷わずにこはなをおすすめします。

「自分らしく」好きを極めたい。それで人とつながれたら、人生が豊かになりそう。

そんな理由でお花を習ったっていいのです。

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