先日、生徒さんたちのレッスンを見ていて感じたことがあります。
その方たちは「花こころマスターコース」が誕生して割とすぐに入会された方で、卒業されてからも継続してレッスンをしていらっしゃるベテランさん。
お題は「自由に」。
自由が不自由って話をしたことがあると思いますが、にこはなでしっかりコツと基本を知っている彼女たちは、自由は不自由ではありません。
自由=目の前にあるお花に聞くって感じでしょうか。
迷いがないんですよね…
本当に上達するってこういうことなのだな…と感じたお話です。
どうでもいい? どうなってもいい? というあきらめが大切
彼女たちが、自分の頭の中の平面で描かれた理想に向かって、デザインを進めたりはしないという姿勢。
それをどう表現しようって話になったとき、出たのが「どうでもいい」という言葉でした。
なんとなくその言葉に引っかかりを感じて、「どうでもいい」って言葉の意味を調べてみました。
その意味は、ものすごく軽い感じの「投げやりな感じ」という意味から「ちょうどいい」っていうものまで、意味の幅が広いってことが判明。
そういう感じでもないよねーということで出てきたのが「どうなってもいい」でした。
頭の中でついつい描いてしまう平面の絵的イメージに向かって、「こうなってほしい」という、ある意味支配的な気持ちでお花を配置すると、うまくはいかないものなのです。
(講師の中村レベルまでに達していたら、頭に描くものも立体なので別です)
ではどうするか?っていうと、「どうなってもいい」という、一種のあきらめにも似た気持ちをもってお花と向き合うことが大切なのです。
「こんな感じかなー」ととにかく進んでみる。
進むとまた何か見えてくるものがあるので、移動させたり高さを変えたりしてみる。
そこには、どう進んでも「どうせきれいに仕上がるさ」という、お花に対する信頼めいたものがあるわけです。
フラワーデザインはジグソーパズルじゃない
そんな話をして時間がたって、これに例えるとわかりやすいかも、と思ったのがジグソーパズルです。
みなさんもおそらく一度はチャレンジしたことがあると思います。
ジグソーパズルを組み立てるときって、どう進めますか?
おそらくですが、その完成図の中にある、できるだけわかりやすいものから作り始めませんか?
ここはできた。ここはできた。あれっこれとこれつなげられない?って風に。
空! とか壁!みたいなところは、最後に手探りではめては「ちがう」を繰り返しますよね。
実はこの「わかりやすいもの」という小さな単位で完成させて、それをいくつか作っていくというパターン。
これをフラワーデザインでもたいていの方はやります(^^♪
ほとんどの方が、一番お気に入りのお花を中心に、コサージュのように小さな単位でお気に入りスポットを作り始めます。
そこから、空や壁に当たるものを広げて作っていこうとするわけですが・・・
そうはうまくいきません。
なぜなら、ジグソーパズルはあらかじめゴールとなる絵があり、それをバラバラに切り取られているものだから、きれいにはまる。
バラバラにされたものを元に戻すわけですから、きれいにはまって当たり前なわけです。
フラワーデザインは誰もわからないゴールに進んでいく冒険みたいなもの
でも、お花は違います。
それぞれのお花に正しい場所なんてものは存在しませんし、すべての花材をピタっと理想的に配置する「完成形」なんてものはありません。
ジグソーパズルのように、ここははまった!という小さな単位で完成させていくとどうなるかというと、
「残りの花材の居場所がない」
はたまた
「残りの花材を入れるとせっかく完成させた部分が壊れて、きれいに見えなくなってしまう」
ということになります。
だから、空や壁を埋めるときのように、とりあえずはめてみる、というスタンスが正解になるのです。
スタートから、未知の世界に向かって、一歩一歩どんなゴールにたどり着くかわからないけど進んでいく。そんな感じです。
正直、教えている側も(たぶん有名なデザイナーさんであっても)、どんなゴールが待ち受けているか?はわからないのです。
この花材の組み合わせなら、こう進んでいけば安全だなという勘所があるだけ。
でもね。安全な道がなんとなくわかる分だけ、つまらないってこともあるようです。
生徒さんが目の前にあるお花と向き合って、冒険をした結果出来上がった作品は、予想だにしなかった素晴らしいところに着地するという奇跡を起こします。
それを見た時が一番ワクワクするらしいですよ。
お花はその存在自体がそもそも美しいもの。
基本的な知識が頭に入っていて、形にするために必要な目線や手配りが身についているのであれば、あとはお花に身を任せて、無で冒険をしてみる。
それが一番、自分が満足できる作品にたどり着けるためのポイントなんだと思います。